黄緑色のうさぎ

しがないオタクの話

King&Prince5thアルバム『ピース』に収録されている「That's Entertainment」は『だが、情熱はある』の主題歌候補にいたんじゃないか?

※最初に言っておきます。これは深読みが過ぎた、キンプリ担2ヶ月目の人間が言ってることです。
事実ではなく、あくまで考察の域を出ません。

2023年8/16に発売されたKing&Prince5枚目のアルバム、『ピース』。その中に収録されているTrack4が、「That's Entertainment」である。

www.tiktok.com

正直、試聴の段階でこの曲への期待度が一番高かった。
というのも、発売前から少しずつ発表されていたライナーノーツにて、髙橋海人が「歌詞は、ほどよくジャニーズっぽさがある」と言っていて、ジャニーズトンチキソング大好きな私からしたら、そっちの方向性なのかなと思いこんでいたのもある。

そんでもってやってきた発売日。聴いてびっくりした。全然トンチキじゃない。
でも言葉遊びが多くて面白い曲だとは思った。「もういいよ」のセリフを聞くまでは。

「なんで最後漫才みたいなこと言ってんの!?」

そこで私は思い出すわけ。このデュオは、ついこの前まで漫才師のドラマの主題歌を歌っていたということに。

で、思わず電車の中でつぶやいたのがこれ。

このときはなにものの裏バージョンと言っておりますが、聴けば聴くほどそういうことではないのでは…となり、そこから私の歌詞を眺める日々が始まったわけです。

 

ということで前振りが長くなりましたが、

「That's Entertainment」は『だが、情熱はある』の主題歌候補だったんじゃね!?説

を述べるに至った理由たちをつらつら書いていくぜ!!

※ちなみにこの記事を書こうと思ったのは、某動画SNSでなんとなくで作った動画が想定以上にバズってしまって、所謂『まあアカン素材を使った動画』だったので、消されるんじゃねコレ……とビビり散らかしたのが理由です。もしかしたら見たことある人は、「あ、あれね」と思ってくださいパクって書いてるわけじゃないです本人です。

あと、意外と同じことを思っていたティアラ(こうやって名乗るのいまだにこっぱずかしくてしたことがない)の方はたくさん見られるので、私が動画にしたらたまたまバズっちゃっただけだと思います。

 

①X(旧Twitter)やTikTokなどの視聴動画、および添付画像

前述した通り、King&Princeの各公式SNSはアルバムリリース日まで、『オフィシャルライナーノーツ』として数日ごとに曲の解説と視聴音源、および動画を上げてくれていたわけですよ。

www.kingandprince5th.jp

この間Xには『ピース』のオフショットから一枚写真、インスタとTikTokはその画像を使った視聴動画をあげてくれてまして。かわいいれんかいちゃんの画像とともにうっきうきしていたわけですよ。

永瀬のれんれんはどのお写真も顔が綺麗ね〜(※海人担)

と、こんな感じでちょこちょこ更新してくれていたわけで。
中でも「That's Entertainment」は全14曲の中でも2番目という早さで解禁された楽曲。が、2番目だったということで、私たちはとある事実を完全に見落とすことになる。

この曲だけ、オフショットが『なにもの』の写真であるということをな!!

どっからどう見ても『なにもの』ですありがとうございました。なんならこれジャニショで売ってなかったけ。
「この黒スーツのれんかいちゃん、チプデみたいでかわいいよね~」とか思ってる場合じゃなかった。この事実、発売した後ですら気づけなかったレベル。

ちなみに『なにもの』もMVのオフショット。

こんなことされたらそうとしか思えない。公式が自ら疑えって言っているようなもん(言い過ぎ)

 

②めちゃくちゃ意味深な歌詞

れんかいのふたりも触れてる「ジャニーズイズムを感じる歌詞」であるこの曲。
が、聴けば聴くほどアイドルじゃなくて"漫才師すぎる"歌詞なんだよなあ……
ということで疑っていくぞ!(?)
※こちら、主が力尽きたのでほぼ1番のみでお届けします。

ツカミ厚かましく登場です  Let’s start the Show time!

 クダリはお決まりが常套です  なりふり構わずRidiculous

ツカミ・クダリともに一般的に使う単語ではある。が、普通アイドルが使うか?な単語。
ということでググってみる。

漫才の「つかみ」というのは,一番最初のボケやギャグのことです。できるだけ早く最初の笑いをとり,お客さんの心を"つかむ"という目的があります(ボケやギャグではなくても,また,「笑い」が起こらなくても,お客さんの心を早めに"つかむ"何かをやって成功していれば,それは「つかみ」と言っていいと思います)

漫才論| ⁸⁵漫才の「つかみ」って何❓|小噺作家𝔽𝕥藤澤俊輔🍳 丁度一四〇文字の短い落語ɴғᴛ | 令和醒睡笑 より引用)

くだり

漫才やトークの流れのなかの一部分のこと。「さっきの漫才のあの“くだり”が面白かった」といった風に使われる。
くだりとは|お笑い芸人用語集|意味と由来 より引用)

どっちも別に漫才用語ではないけど、一般的に使うとしたらお笑いの話の時だよねって単語。

この曲、個人的におそらく「オードリーがM1で敗者復活から2位に昇りつめた後」だと思っているんですけど、(もしこの説が事実だったとして)諸般の事情により主題歌として採用できるのが、ドラマの進行度合いとしておおよそそのタイミングであろうことを踏まえて制作したんじゃないかと考えると、辻褄は合うと思っているのが理由です。
で、そうすると"厚かましく登場"も"クダリはお決まりが常套"もアイドルより漫才師の方がしっくりくる。オードリーは「敗者復活でキャラ漫才は上がれない」と言わしめていた時期に、敗者復活からのし上がった二人なので、その敗者復活で「のそのそ歩く春日」はツカミとしてインパクト大だったし、ズレ漫才はオードリーだけのクダリとして完璧なわけです。

あと、Ridiculousの意味は「ばかげた、ばかばかしい、おかしな、滑稽な」なので、やっぱりアイドルと言うよりは漫才師だと思うなあ。

 

吠えて  仕掛けて  噛みついて  演じてはLa Ta Ta

 So  目立つわけじゃなく  派手なわけじゃなく そいで喝采(はくしゅ)を搔っ攫う

ここら辺も、ボケ及びそれに乗っかるツッコミのことかな。
拍手はどの表現者でも欲しいものだと思いますが、「 目立つわけじゃなく  派手なわけじゃなく」の歌詞が、アイドルだと真逆では?目立ってなんぼ……と思う。
いや、オードリーもどっちかと言えば目立ってるし派手だけど!!

 

聴かせて君の声 よじれるお腹スパイク

 That’s Entertainment マイク一本上等

はいきました、私が一番「これ絶対アイドルの曲じゃない」と思ったパートです。
「聴かせて君の声」はまだわかる。CRだと思えばよい。
よじれるお腹スパイクは、目の前にいる誰かを笑わせに言ってるとしか思えんのよ。
完全に笑い死にそうなところにとどめ刺しにかかってんじゃん。

んでもってその次よ。「マイク一本上等」?
君、「なにもの」にもいたな????

絶対みんな大好き(クソデカ主語)、サビ前れんれんのソロパートにいるあの子じゃね??となったこの歌詞。
「なにもの」のときから、この"マイク"はハンドマイクではなくてサンパチマイク(漫才の時に使うアレ)だとは思ってた。思ってたんだけどもう間違いないじゃん。
どう考えても「このマイク一本で笑わせてやるからな!」のやつじゃん。

『だが、情熱はある』のタイアップも決まっていた上でのシングル選考をしていたとして、キラーワード的な意味でこの単語は組み込み必須だったんじゃないかとすら思える。

 

足りないTurn it up, La Ta Ta  ここからまだFun Fun Fun

もうここまで来たら書かなくてもわかってくれるのでは、とすら思ってしまう。

”足りない"はモデルになった『たりないふたり

youtu.be

”ここから”は、初回から『だが、情熱はある』を支えていたSixTONESの『こっから』

youtu.be

なんか無理ある気もするけど、そう感じちゃうともうそうとしか思えない。

もういいよ

こちら、どう考えても漫才の〆のお言葉です本当にありがとうございました。

 

と、いろいろもはやこじつけに近かったとは自分でも思ってるんですけど、こんな具合に「もしかして……?」なピースはいたるところに散りばめられている「That's Entertainment」。

もちろん私は『だが、情熱はある』の主題歌としても、新生King&Princeのスタートとしても「なにもの」が大好きです。なにもののおかげで、キンプリの良さに気が付けたと言っても過言ではないです。今私が髙橋海斗に狂ってるのはこの曲のせいおかげ。

でもそれはそれとして、本当のところどうなんですかKing&Princeさん!!いつか機会があったら教えてくれ!!!

理想でなかったからと縋るのはやめて、お別れしましょう

(最初に)
この記事は特定の人を貶めるつもりも、特定の人だけを上げるつもりもありません。
私自身の思いの整理をするためだけの記事です。

 

 

お別れしたいのは、昨年急にグループからいなくなったあの彼である。6月14日18時に、メール一つだけでいなくなった彼。
いや、もう去年の夏の時点でいなくなったのだからお別れはとっくに済んでるはずなんだが、彼が辞めてからも私の使ってるGoogleくんは賢いんだかアホなんだか、アルゴリズム的にグループ名で拾ってくれてしまうのか、SNSをブロックしていてもちょこちょこと彼の話題は勝手に視界に入ってきていた。

気にしなければいいと過ごしていたけれど、そんな中でどうしても引っ掛かった言葉がひとつだけ。

「グループにいた時代は、どれだけ声が目立てるか考えてた」

一言一句あっている自信はないし、もしかしたら少しニュアンスは違ったかもしれない。だけどこういった言葉が出たってことは、彼からしたら本心から出た言葉だったんでしょう。
でもなぜか私はのどに何か引っかかったみたいな、なんでこんなことになったんだろうって悲しい気持ちになって仕方なかった。
ことあるごとにふと思い出して、なんだかんだ4人が忘れられないんだなと思ってしまう自分が悲しかった。

 

先述した発言自体、現在(2021年10月)から考えると結構古いもので、そんなのをずっと考えるくらいなら自担追っときなさいよ、とは自分でも思う。
でもふと思い出しては、なんでこうなっちゃったんだろうなあって悲しくなる言葉になってしまったことは間違いない。

とは言ったって時間は流れるし、自担はたくさん仕事決まるし、なんだかんだそれが引っ掛かったままなんとなく過ごしてたら新しい沼を見つけてしまい、もうきれいに浸かってしまった。そこは今まで手を出さなかったK-POPで、ボーカルとラッパーが明確に分かれてて、サビもユニゾンじゃなくメインボーカルのソロというのは新鮮だった。そのグループには、推しが2人できた。最初の推しになった子はリードラッパーで、加入経緯はいろいろあったけど今ではかわいがられているマンネ。

そのマンネが、9月からグループのヒョン(お兄ちゃん)のひとりと番組をすることになった。そのヒョンはメインボーカルで、もうめちゃくちゃ歌がうまい。高いキーも余裕で出るし、ライブツアー中に肋骨を折っても、椅子に座って歌い続けることを選んだ仕事の鬼みたいな人。それだけ歌にプライドがあって、でもおごらない姿勢がかっこいいと思った。
そして同時に、「なんであいつはこうならなかった?」と思ってしまった。
その番組内でゲストに向かってヒョンが言った、「高いキーが出るから、どんどん求められるキーが上がった」。彼も本の中で「自分がいたからグループの楽曲のキーはどんどん上がった」と言っていた。こんなに近い発言をしてるのに、その言葉に込められた意味は違いすぎて、やっぱり彼はグループのために歌ってたんじゃなくて、自分のために歌うのが好きだったんだろうなと思えて仕方なかった。

 

そんなもやもやした気持ちの私が、9月の半ばに好きだと思ったもうひとりの推しは、グループを脱退してしまったソロシンガー。

最初は顔がきれいでかわいいな、好きだなとなんとなく思った。
でももう彼はいないと教えられて、確かに2020年の楽曲を見たらひとり足りなかった。

だから、彼が辞めた経緯は聞いたり見たりしただけ。当時を知らないから、ファンの人たちもメンバーも、どれだけ悲しかったのかなんてきっと私は一つもわからない。
私が知っているのは、とある人物のネット上の書き込みが火種になって、あることないこと噂され彼を叩く人が現れて、出て間もなかったアルバムのプロモーションには参加せず、「メンバーに迷惑をかけるわけにはいかない」とグループを脱退、そして所属事務所とは契約解除。この時系列だけ。

私はひとつのグループを追っていてなぜか3回も脱退騒動があったので(実際は推す前にもあって計4回なので、回数は絶対事務所内1位)、当時の彼らファンの人たちが「つらかったこと」はわかる。わかるけど、その「つらさ」はわかってあげられない。だけど、今の形のグループを推すとともに、以前あった形を否定したりしちゃいけないのは理解してる。

そう思っていた時にカムバが決まり、今の彼が楽しそうにソロで活動しているのを見た時に、この人が好きだなと改めて思って、"ソロの彼"を推そうと思った。
彼自身はソロデビューというリスタートできれいに線を引いたように、グループに所属していた過去の話は深くしていない。でもインタビューなどでなかったことにしないし、そのころの彼自身を否定もしない。"その時代の自分"がいたから"今の自分"がいる、というのを言葉と行動、作品で見せてくれる彼が心底眩しくて、ひとつ気が付いた。

私は、やめた彼にこうしてほしかったんだと。

 

あの彼はやめてから、グループ時代のことを書いた本を出版した。
書いたとは言っていたが、おそらく週刊誌でよくある「激白!これまで語らなかった事務所時代!」みたいなものなんだと思う。その本は、できれば墓場まで持って行ってほしかった話のオンパレードだった。
耳に入る話では、事務所はこうだったああだった、だから今のほうが自由でいい。なぜか知らないけど、彼の話は全部事務所時代を否定から入るような言葉ばかりで、もう少しうまく言えないものかとやきもきした。と同時に、なんでこんな否定をされなきゃならないんだ、そこに残っているかつての仲間は懸命に頑張ってるのにとむかついた。
でもそれは私のエゴでしかなくて、彼は彼なりに思ったことを素直に話しているだけだった。ある意味それは今も昔も変わらないんでしょう。
でも昔はその発言の間に事務所というものがいて、私が好きだったのはその事務所が作り出した、まさに偶像だった彼なだけだ。

 

もちろん今追ってる彼らだってきっと全部偶像だ。
でも彼らはアイドルという偶像でいることを選んでくれていて、私はそんな偶像であるアイドルな彼らを応援しているんだと思い出した。本物の彼らに幻滅しても、アイドルという部分で魅了されたら私はもう彼らを全力で応援してしまう。それは2018年の例の事件で分かっていたはずなのに、忘れていた。

彼はその偶像でいる自分をやめたのだから、偶像を追いたい私がむかついてしまうのも無理はない。Not For Me 彼が私の求める人でなくなっただけ。
辞めたんだからそれなりに結果は残してくれと思っていたけど、もうそれもやめる。
彼のファンだった妹より私のほうが、よっぽどあきらめが悪かったことに気が付いた。

ということで、もう本当に彼とはお別れしようと思う。記事や言葉が視界に入っても、もう読むことすらしないでしょう。

ありがとう手越、末っ子としてかわいがられて、歌を引っ張ってくれていたアイドルの君が好きだったよ。

ツイステ に彼が登場したことによる一つの可能性

どうもこんにちは。
しがないツイッタラー、りっきです。
ジャニーズと漫画とゲームが好きなオタクです。

 

ブログなんて書くのはだいぶ久しぶりなのですが、つらつらと文章を書くのは大好きなので久しぶりにやることにしました。
今回は昨年から大ブームを巻き起こしているツイステッドワンダーランド、通称"ツイステ "のストーリーについて、考察にもならない私の考えた作中での可能性の話を書こうかと思います。
(以下、配信済みのストーリー5章後編2までのネタバレを含みます。)

 

そもそもツイステ とはなんだ?

ツイステッドワンダーランド通称"ツイステ" とは、ウォルト・ディズニー・ジャパンアニプレックスが共同開発した『ヴィランズ学園ADV(アドベンチャー)ゲーム』。(ジャンルがそのまんまじゃねーかと思ってる)
流れとしては単純で、様々な事件*1に巻き込まれつつ、その事件をひとつずつ解決していく形でストーリーそのものは進んでいきます。

 

twisted-wonderland.aniplex.co.jp

 公式から説明されている世界観はこちら。

この物語を描くのは、「悪役たち」の真の姿-

魔法の鏡に導かれ、異世界「ツイステッドワンダーランド」に召喚されしまった主人公。

辿り着いた先は名門魔法士養成学校「ナイトイレブンカレッジ」。

行く当てのない主人公は、仮面の学園長の保護を受け、元の世界へ帰る方法を探し始める。しかし、そこで待ち受けていた生徒たちは、才能豊かだが、協調性皆無の問題児ばかりだった!

はたして主人公は、彼らと協力し、元の世界へ帰ることができるのか?そして、ヴィランズの魂を持つ、生徒たちの秘密とは?

 

ここで重要なのは、ツイステ自体はインスパイアされた作品ということで、登場人物たちのほとんどは人気漫画「黒執事」の原作者である枢やな氏がキャラクターデザイン・原案を務め、生み出された"完全オリジナルキャラクター"であること。
彼らが所属する寮*2が存在し、ハーツラビュル寮のエース・トラッポラであればハートのトランプ兵、ポムフィオーレ寮のエペル・フェルミエであれば毒リンゴといったように、各寮生たちは作品からモチーフをピックアップしたようなキャラクターであり、その小ネタを作中から探していくのが楽しかったりもします。
が、そんな作品の中でも例外があり、それが各作品のヴィランたちなわけです。彼・彼女らは「グレート・セブン」としてツイステッドワンダーランドで伝説となり、「この世界にかつて存在した偉大なる存在」として崇められ、ナイトレイブンカレッジに通う生徒たちは彼らに憧れを抱いている、ということになっているのですが、これが後々私の脳にハテナを大量生産することになります。


主人公(以降、監督生と表記)が各章の序盤や中盤でその作品群を夢に見たりすることはあるものの、しっかりと存在を明確にされているのはヴィランズだけ。ということは、監督生が見ているのは予知夢みたいなもので、私たちにストーリーの流れをわかりやすくするため差し込まれているだけであり監督生自体はその作品を知りもしないのだろう、と思っておりました。
あの、みんなが知る大スターが登場するまでは。

 "ディズニーの象徴"の登場でわからなくなったこと

2章の終盤、監督生は自室の鏡から黒い人影を見つけます。

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(初見怖すぎてまじでビビった)

3章終盤にも、その人影は再び登場。

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その声、お前まさか……

 そして4章終盤、とうとうしっかり名乗った彼。
そう、ディズニーの象徴"ミッキーマウス"の登場となってしまったわけです。

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そして5章ではとうとうお顔まで見せてくれたミッキー。

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(可愛い)

ツイステ におけるミッキーの登場って、 5章前編の配信当時はそんなに気にしてなかったんですよ。なんなら「ディズニーだけどディズニーではない」みたいな扱いされてしまっていたので、彼の登場はかなり安心できる要素のひとつでもあったわけですね。
ですが5章後編2を読んだあと、友人と話してて私は思ったわけです。


ミッキーが出てきたら、"ツイステッドワンダーランド"という世界の存在そのものがおかしくならんか???。


というのも、監督生は前述の通り各章ごとにそのストーリーの予言めいた夢を見る羽目になります。それは私たちが見たことあるディズニー作品そのものであり、馴染み深いヴィランズの姿でもあります。ですが監督生にその作品を見た記憶はなく、グレート・セブンとして教えてもらった姿とは違うことを5章の序盤でもエーデュースに「ふしぎな夢を見ている」として相談をしています。(その場面ではデュースが「僕も暗記してて夢に出ることがあるがそれとは違うみたいだな」と、自分が知っているものとは違う姿で登場していることに理解を示しています。)

ミッキーが出てくるまでは、"ディズニー"という括りはストーリーの流れ上無視ができ、ただ単純に「悪役たちが伝説の象徴として崇められてる」という捻じれた(=ツイステッド)世界での冒険劇で話を進めることができるのですが、"ディズニーの象徴"が出てきてしまうとおかしなことになってくる。ミッキーがいるということは、あの世界のどこかの世界線に"ディズニー"が存在し、グレート・セブンはやはりヴィランでしかない証明になりうるんですよ。ということは、監督生が元の世界へ戻ってはいおしまい!じゃ済まないかもしれないんですよ。

彼の登場でツイステッドワンダーランドは、「ハウス・オブ・マウス」*3TDRのショーのようにヴィランズが反乱を起こして誕生させた世界である可能性があり、この先の登場の仕方によってはツイステッドワンダーランドという世界ごと消される可能性すら出てきた。みんなグリムのオバブロ(あるいはグルーヴィ)に気を取られてるけど、ディズニーのショー*4や短編ムービーになると、みんなミッキーに吹っ飛ばされて終わってるので、ツイステ の世界においてグリムよりタチの悪いラスボスかもしれなくて、となると反対にこの先両者が協力する可能性は極めて低いんですよね。ミッキーと協力する、という視点だけで考えればありうるのはRSA*5ですが、NRCがここと手を取るのもおそらくない……

ここまで考えると、やっぱり最後の最後でツイステって世界ごと消えてしまうのでは?という不安を抱いたまま、6章の配信を待つしか答え合わせの方法はないわけです。筆者はひとまず(ゲームの話だけど)現実逃避として、この予想当たってなきゃいいな〜と思いつつ、次回の配信まで蜜と錬金メダルを貯めようと思います。

(まあ冷静に考えると、世界ごと消したらコンテンツ自体の広がりとビジネスができなくなるので、その展開はおそらくないとも思うのですが。)

*1:序盤は悪友ポジションのエース・トラッポラとデュース・スペード、はぐれ魔物のグリムが大体の原因。4章以降はそうでもなくなった

*2:ふしぎの国のアリス」からインスパイアされたハーツラビュル寮、「ライオンキング」からインスパイアされたサバナクロー寮、「リトル・マーメイド」からインスパイアされたオクタヴィネル寮、「アラジン」からインスパイアされたスカラビア寮、「白雪姫」からインスパイアされたポムフィオーレ寮、「ヘラクレス」からインスパイアされたイグニハイド寮、「眠れる森の美女」からインスパイアされたディアソムニア寮の7寮

*3:2001年〜2003年に放送されたテレビシリーズ。ヴィランズがミッキーのジャズクラブをのっとる話がある。

*4:みんな大好きファンタズミックは、ミッキーがマレフィセントを「これが僕の夢なんだー!」の台詞とともに消し去ります

*5:ロイヤルソードアカデミーの略。NRCのライバル校で、プリンセスやプリンスモチーフのキャラクターたちが通学していると思われている